岡本太郎美術館へ。
多分コロナ禍後まともに美術館行くのは初な気が。
てゆーかライブ以外でほぼ出かけない生活というか、
あんま出歩くのも歓迎されない世の中なので。
昔は時折六本木の現代美術館や、なにかしら興味がある展示があれば行ってたんだけど、多分三、四年前のYouTubeプロジェクト辺りから動画の素材撮りと、ライブも月10は出てたので、スケジュールが殺人的でパンク仕掛けたので無理だった。吐き出すのみで、何一つインプットの余裕がなくなっていたので。
大体同じぐらいの年間隔で川崎のこのやや都心から離れた場所へ。
空気が綺麗だった。
いや、遠い。
けど、来たら必ず収穫あるのよね。
昔来た時はなかった展示が増えていた。
大阪万博の鍵、は初めて見た気がする。
インタビューも残されていてなかなか興味深かった。フランス人相手にフランス語で対応していた。
だいぶ昔の映像。
要約すると、
『作ると言うことは、すでにあったものを作らないと言うこと。
創造とは簡単な創造を否定し、困難な創造しか求めないこと。
今までになかった新しいものを常に作りたい。この世に存在しないものを作る事が喜びである。
計略なしに、狙いなしに生きなくてはいけません。
だから、私は自由です。』
基本で、守らないといけないけど忘れる事。
凡人はすぐ忘れる。
他にも、
『綺麗と美しい、は違う。
綺麗とはただ、その線になぞったものを死んだ線で書くことと一緒。
美しいは、おぞましくて、醜悪で、背けたくなるもの。
命そのものをぶつける事。戦うこと。
『なんか、気持ち悪いわね』と一言言って展示から出ていかれた客人がいた。
それこそが芸術というもの。』
醜悪、嫌われるものこそが本物、みたいなのはよく言う岡本太郎の価値観よね。
言うは易く、行うは難し。
そこに抗うか、屈服するか。
模倣のスライドやフツーをやるぐらいなら、醜悪であったほうが美しいと言う事。
多分昔は撮影NGだった気がするけど、近年は撮影許されてるものも増えてきた。
近鉄は球団を失うとともに一つのデザインも消してしまった。
最近、バタバタ動いているものの、この手の吸収を久々にして良かった。
また近々色んなものを見に行こうと思う。
凝り固まったら視野が狭くなる。
固定で動いてたら視界が狭まって終わる。
頭と身体を使う一年にします。